十六世紀、アメリカ大陸での征服の後、スペイン帝国は莫大な量の金と銀をヨーロッパへ持ち帰った。当初、この富は帝国にとって祝福と見なされた。財宝に満ちた国庫は、王室が戦争を行い、宮殿を建設し、遠征を支援することを可能にした。
しかし、貴金属が経済に大量流入したことで、広範囲にわたる物価上昇が起こった。この時期は「価格革命」と呼ばれている。通貨の価値は下落し、生活費は急速に上昇し、労働者や農民は困窮に陥った。王室と貴族の富の増大は、大衆の貧困化と同時に進行したのである。
ここでの欲望は個人のものではなく、帝国そのものの欲望であった。植民地から富を搾取しようとする欲求は、長期にわたる通貨ショックを引き起こした。ベトナムのことわざに、椀をつかんで膳を失うという教えがある。スペインは金を手にしたが、長期的な経済基盤を失い、やがて国際的地位を徐々に低下させていった。
仏陀は、欲に突き動かされた行為は苦しみを生むと説いた。この場合、その結果は神秘的な形ではなく、インフレーション、貧困、社会不安という形で現れたのである。
ゴールドラッシュと一攫千金の夢の影
十九世紀には、カリフォルニア、オーストラリア、クロンダイクで大規模なゴールドラッシュが起こった。新たな金鉱発見の知らせは野火のように広がった。何十万人もの人々が農地や家族を捨て、一夜にして富を得る夢を抱きながら山や川を越えた。
金鉱の周囲には急速に町が生まれた。酒場、賭博場、売春宿は学校や病院よりも早く増えていった。法の力は弱く、暴力や強盗は日常茶飯事だった。先住民は土地を追われ、多くの伝統社会が破壊された。
金は一部の人々に富をもたらしたが、同時に犯罪、疫病、地域社会の崩壊ももたらした。金が枯渇すると、多くの町はゴーストタウンとなり、壊れた人生と語られぬ物語だけが残された。
古くから、地から奪ったものは地に返ると言われてきた。ゴールドラッシュはその教訓をはっきりと示している。短期的な欲望のためだけに資源を搾取すれば、長期的な社会的、環境的損害が残る。仏陀は、欲望は決して満たされず、追い求めるほど疲弊すると説いた。金を求めて旅立ち、手ぶらで帰る人々の姿は、その教えを生々しく映し出している。
二十世紀の世界的通貨ショックと金
二十世紀に入ると、金は単なる貴金属ではなく、国際通貨体制の柱となった。多くの通貨が金に結び付けられ、安定と規律の象徴とされた。しかし戦争と財政支出が拡大するにつれ、各国政府は金を制約と見なすようになった。
一九七一年、アメリカはドルと金の交換を停止した。この決定は、完全な不換紙幣の時代を開いた。当初は政策の柔軟性を高める手段だったが、その後の十年間で高インフレを招く道も開いた。
物価が上昇し、紙幣への信頼が弱まると、投資家や一般市民は金の購入に走った。金価格は急騰し、通貨制度への不安と恐れを映し出した。金は不安定の指標となったのである。
ベトナムの知恵には、金銭が家に入るのは空き家に風が入るようなものだという教えがある。紙幣の価値が急速に失われると、貯蓄は消え、人々は無力感に包まれる。財産を守りたいという思いが金へと向かわせるが、その動き自体が市場の変動をさらに激しくする。
仏陀は、すべては無常であると説いた。堅固に見える通貨制度への信頼も、たった一つの政治的決断で変わり得る。どのような形の富であれ、絶対的に執着すれば苦しみの原因となる。
現代の危機における金
二〇〇八年の世界金融危機やその後のパンデミック期においても、金は再び安全資産としての役割を示した。銀行が破綻し、株式市場が暴落し、経済が停滞すると、資金は大量に貴金属へ流れ込んだ。
この現象には二つの側面がある。一方では正当な防衛本能の表れである。だが他方では群集心理と投機をあおる。多くの人が長期的な保全のためではなく、短期的な利益を狙って金を買う。価格が上がるほど欲望も高まり、自己強化の循環が生まれる。
金に流れる資本は、生産分野から離れる資本でもある。企業は資金調達が難しくなり、投資は減速し、景気回復は弱まる。個人の安全確保の行動が、結果として社会全体の基盤を弱めるのである。
一本の木では丘はできないが、多くの木が集まれば山になるという教えがある。誰もが自分の身だけを守ろうとすれば、社会は危機を乗り越えるための集団的な力を生み出しにくくなる。個人レベルで合理的に見える欲望も、全体では重荷となり得る。
中央銀行までもが金に向かうとき
近年、多くの中央銀行が金準備を増やしている。これは単一の基軸通貨への依存を減らし、地政学的リスクに備える意図を反映している。
ある程度までは合理的な戦略である。しかし多くの国が同時に金を買えば、価格はさらに押し上げられる。市場はそれを世界的な不安の兆候と受け取り、防衛的な心理が一層強まる。
こうしてフィードバックの輪が生まれる。不安定が金購入を促し、大規模な金購入が不安定の兆候と解釈され、市場をさらに敏感にする。金は恐れを映すだけでなく、恐れを増幅する存在にもなり得る。
古い知恵は、人の心は水のように舟を浮かべもすれば転覆もさせると言う。金融システムへの信頼も同じである。信頼が強ければ資金は円滑に流れる。信頼が揺らげば金が上昇し、不安定の波が広がる。
金価格の上昇と社会的影響
金価格の急騰は、金融市場を超えた影響をもたらすことが多い。多くの国で人々は金を買い急ぎ、銀行から預金を引き出し、金融システムに圧力をかける。すでに金を持つ人は恩恵を受ける一方、持たない人はインフレの打撃を受け、格差が拡大する可能性がある。
小規模な金採掘が行われる地域では、価格高騰が無秩序な採掘を促し、環境汚染、地滑り、土地や資源を巡る争いを引き起こす。価値保存の象徴だった金が、破壊と対立の原因となる。
仏陀は、渇愛は執着を生み、執着は苦しみを生むと説いた。社会が金を究極の安全と過度に見なすと、人々は常に不安の中で生き、失うことを恐れ続ける。心の平安は物質的な安心感と引き換えにされるが、その安心感はきわめて脆い。
歴史からの教訓と現代への示唆
歴史上の金価格急騰期を振り返ると、一つの共通点が浮かび上がる。金は信頼が最も暗くなった時代に最も輝くのである。利益追求であれ資産防衛であれ、欲望は均衡と知恵を欠けば不安定を拡大させ得る。
ベトナムの伝統は足るを知ることを勧める。仏陀は快楽と苦行の両極端を避ける中道を説いた。金の問題に当てはめれば、真の安定の基盤はバランスであることを示唆している。金は金融や個人資産の一部として役割を持ち得るが、それが集団的な執念となると、社会は不安の連鎖に陥る危険がある。
歴史は金そのものを非難しているのでも、絶対視しているのでもない。世代を超えて警告されてきたのは、制御されない欲望である。欲望が先導すれば、金は安全の象徴から分断と不安の触媒へと変わり得る。
不確実性が続く現代において、この教訓は依然として重い意味を持つ。熱狂の中でも冷静さを保ち、長期的な価値への信頼を育み、持続可能な発展を支えること。それこそが、歴史が繰り返してきた不安定の連鎖を避ける最善の道なのかもしれない。


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